夜に目覚める - 工藤玲那さんとの対話から

工藤玲那「Cup Flavored Drawing」

 「夜にあまり寝ないんです。」
工藤さんは、作品についての対話のなかでそうつぶやいた。
 
夜に散歩するのが好きで、
夜のひとりになれる感じがいいのだという。

 

本を読むとか作品を制作するとかと同じ、ある種、強制的に一人になる時間がアーティストにとって重要なのだろう。
現在の工藤さんの制作拠点も、星空がきれいに見える山に囲まれた場所にある。

 

今回紹介する「Cup Flavored Drawing」は、陶器によるドローイング作品のシリーズだ。
絵画作品におけるドローイングのような位置づけで、素材や造形、テーマなどの実験が行われている。

 

今回の作品群で「夜」は中心的なテーマになっている。

 

作品を制作するにあたり、岩手県花巻市にある宮沢賢治記念館を訪れた経験が、影響をあたえているという。

 

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」という未完の短編小説がある。
主人公の少年が、銀河のお祭りの夜を舞台に、友人と遊ぶこともできないほど生活が苦しい現実の世界と、銀河鉄道に乗り夜空を旅する幻想の世界が混じり合う物語である。
少年にとってのその「夜」は、美しい風景の旅路であり、電車に乗り合わせた人たちとの楽しい交流の場であり、そして友人との最後の別れの場でもあるという多様な意味をもつ。

 

「銀河鉄道の夜」は、アーティストの過ごす夜の時間とどこかリンクしているという。
それは自然の美しさでもあり、夜が包み込む静けさでもあり、少しの寂しさでありでもあるのかもしれない。

今回の作品では、陶器作品に石が埋め込まれているものがいくつかある。
もともと石が好きで、色々な場所で石を拾ってきて、家にもたくさんの石があるのだそうだ。

 

宮沢賢治の物語にも鉱物の記述が多くみられる。
幼少期から鉱物の採集に熱中し、地質学者でもあった賢治は、「銀河鉄道の夜」においても、印象的な石の描写を残している。

 

覗き込む地図は黒曜石でできており、河原の砂を「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている。」(注1)と表現する。
途中下車したプリオシン海岸では、黒くゴツゴツとした石、120万年前のくるみの化石を拾うシーンがある。
これは、日本で初めてバタクルミの化石を発見した賢治本人の体験と重なり合うものだ。
(プリオシンとは新生代第三紀の鮮新世を指し、賢治の発見したクルミの化石の出土した地層の年代である。※現在では研究が進み第四紀のものとされている。)

 

工藤さんの作品「Cup Flavored Drawing #204」には珪化木(けいかぼく)という石が焼き込まれている。これはある特殊な条件下で木が化石化した石である。

石と陶器は元を辿れば同じものともいえる。
陶器の原料となる土は、石が風化し、削られ、風雨にさらされることで細かい粒子となり、土などの有機物と混ざり合うことで長い時間をかけて粘土へと変化する。

陶器と石、異なった素材を一緒に焼くことで、石の性質によって、割れたり、溶けたり、爆ぜたりするのだそうだ。

 

工藤さんは、石と陶器について、「石の時間」と「陶器の時間」と表現する。
石には、それそのものに宿っている時間がある。
山から削られ、川や海で削られて丸くなっていく。
長い時間をかけて、どこからかたどり着き、何気なく手元にある。
人間とは違う時を生きるまなざしをもつ。
石は本来的に美しいものだ。

 

一方、陶器はアーティストによって形づくられる。アーティストとつながる時間、だんだんと宿っていく時間がある。
それはもっと濃密で、少しバイオレンスなイメージにもつながる。
人間が作り出すものとしての美しさがある。

 

作品の表面にもぜひ注目してほしい。
オパールのような光の感じ
色と色とが銀河のようにマーブル状に混ざり合う様子
柔らかな街頭の光を思わせる黄色

 

作品を手にとると、それぞれがもつ夜の風景を見出すことができるだろう。

 

(注1)「銀河鉄道の夜」宮沢賢治、角川文庫、2000年、P.154 

 

工藤玲那さんの作品を紹介するのにあたり、何度かアーティストと話す機会を持ちました。対話の中から作品理解の助けになりそうなお話をまとめました。作品を見たり、触れたり、考えたりするときに、参考にしていただけたら幸いです。 

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