"新たな距離 言語表現を酷使する(ための)レイアウト" 山本浩貴

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Title: 新たな距離 言語表現を酷使する(ための)レイアウト
Author: 山本浩貴(いぬのせなか座)
Publisher: フィルムアート社
言語: 日本語
サイズ: 21.5 x 15.5 cm


私を書き留め、私を並べる。世界が組み換わる。
次世代の俊英・山本浩貴(いぬのせなか座)の待望の初単著、三部作で刊行開始。

小説、批評、詩歌、デザイン、美術、写真、映画、上演……多種多様なジャンルを行き来しながら
言語表現の技術や意義を再定義し、「新しい制作」の、さらには「この私の生」の可能性を拓く、鮮烈な思考と実践と実験の書。

本書『新たな距離──言語表現を酷使する(ための)レイアウト』は、三部作のうちの第一作目として編まれ、以後近々に続刊予定。
初単著が三部作という前代未聞のデビューに刮目せよ。

本書では、山本の主宰する制作集団・出版版元「いぬのせなか座」の思想的背景を明らかにすると同時に、立ち上げから現在まで培われてきた言語表現ならびにデザイン/レイアウトをめぐる議論を集約する。

生きることと表現を密接に関わらせることに重きを置くそのスタンスはどこから来たのか、昨今の言語表現を取り巻く状況(への抵抗)を含め整理する保坂和志論(Ⅰ章)にはじまり、山本の代表作にしていぬのせなか座立ち上げにあたっての長大なステイトメントでもある大江健三郎論(Ⅱ章)で、言語表現は「私を私の外で破砕的に書き直し掛け合わせていく場/技法」として設定される。そのさい重点的に問われることとなる「私が私であること」の避け難さや素材化は、詩歌や日記をめぐる各論(Ⅲ章)へと進むことで、事物や死をはじめとする切断性の形成と関わり「制作のデモクラシー」なるスタンスを築いていく。

さらに、荒川修作や宮川淳、マルセル・デュシャンや瀧口修造ら現代美術における議論を通じ(Ⅳ章)、広く芸術全般における言語表現の意義や転用可能性が模索される。言語表現は、私の外に私を発見させられる〈喩〉なる効果を操作して、孤絶した私の遍在から成る共同体を設計する技術の束となる。文章が書かれ並べられる「紙面」もまた、いぬのせなか座のデザインをめぐる具体的実践・対話(Ⅴ章)を経ることで、異種や事物を巻き込み複数でもって表現(不)可能性を試行錯誤していく実験の場として設定されるだろう。

その上で、全編を通じて形成された「私」と「私」を隔てつなげる距離をめぐる問いは、制作がもたらす特異な経験の質──山本が〈アトリエ〉と呼ぶそれ──からあらためて焦点を当てられ直し(Ⅵ章)、「死からの視線」や「擬場」といった概念を呼び込みつつ、インスタレーションや演劇、映画といったジャンルへと押し広げられていく。いぬのせなか座立ち上げ時に大江健三郎論を通じてなされた議論の最新形が示されると同時に、問いは自由意志や差別、法や演技といった主題に関わるものとして続刊『死と群生』へと引き継がれる。

 今やすでに社会的意義を失ったかに思える小説や詩歌といったジャンル、すなわち言語表現を──またそれが歴史上依拠することの多かった、書物の編集ないしデザインという、これもやはり終わりつつあるひとつの表現形式を──なぜあらためて自分らのスタイルとして選び、あるいは参照する歴史の最たるもののひとつに選ぶのか。そうした問いを抱える自分らに対して、何者を待つでもなく自ら何らかの手がかりを作り、さらにはジャンルを超えて多数の人々とのあいだで言語表現をいまだ(必須なものとして尊重するというより、可能な限り先へと高速で進むのに)使える手段として共有していくにはどのような場や教育の設計がありうるか。
(本書「はじめに」より)
推薦

距離を跨ぐたびにねじれる文の跳躍一つ一つが制作に変わる。制作は自己の生の物質的書き換えになる。山本浩貴の思考との出会いは人生を変える衝撃だ。
──平倉圭(芸術学)

目次

本書の構成と使用法
はじめに──ここにあるアトリエ
資料 新たな距離とはなにか──いぬのせなか座の開始にあたって
Ⅰ イントロダクション
生にとって言語表現とはなにか──保坂和志と表層の手前側のリテラリズム
Ⅱ 私の所有、宇宙の配置
新たな距離──大江健三郎における制作と思考
Ⅲ 物と空
日記と重力
句(集)によりオブジェ化された時空らが上演する制作のデモクラシー──福田若之『自生地』
The Process in Question──貞久秀紀の詩作
生(活)の配置、〈調べ〉の気づき──必然の混雑なる場をもたらす詩の形式について
『灰と家』を上演するための4つのノート
物化するプロセス、閉鎖から滲み出る距離、遍在する家々の期待
閉鎖性を条件とする《空》の相互観測とアニミズム──私の新たな身体の制作に向けたふたつのルートの仮設計
空白の料理──最果タヒにおける私の部屋の配置、ならびに積みあげられた実験場で見られる新たな系の制作
補遺:最果タヒ著作解題2007-2017(いぬのせなか座(鈴木一平+なまけ+山本浩貴))
Ⅳ 喩と遍在 
制作的空間と言語──「あそこに私がいる」で編まれた共同体の設計にむけて
補遺:世界の実験を一本の線が代行する──荒川修作『Still Life』
補遺:オブジェと私、書物とアトリエ──瀧口修造の「新しい主観性」
Ⅴ 紙面という舞台
詩(集)にとってデザイン/レイアウトとはなにか──河野聡子『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』(いぬのせなか座(鈴木一平+なまけ+山本浩貴))
「現代詩アンソロジー 認識の積み木」制作ノート
眩暈の構築──野村喜和夫『妖精DIZZY』(鈴木一平+野村喜和夫+山本浩貴)
言語表現の運用に「紙の出版物」はどう有効か?
世界の配置、鉱物化された奥行き/生──加藤広太『目前に立ち現れる』
より演劇的かつ仮設的な〈舞台〉で。──三野新『クバへ/クバから』、あるいは背景としての同名プロジェクトについて
補遺:紙面レイアウトにより上演されたルポルタージュ──東松照明と名取洋之助における公共と私性
Ⅵ 掛け合わされた孤絶の距離
アトリエのためのメモ
絶望とモデル──大江健三郎におけるアトリエ
あなたを演じる場所──三野新『外が静かになるまで』
死からの視線──清原惟『すべての夜を思いだす』
書くという演技──山下澄人『FICTION』
すべてはそこから始まったはずなのだ、とさえ思える鮮烈な光景の記憶、何が鮮烈なのかさえ不確かなのだが……──戸田ツトムにおける擬場
おわりに

山本浩貴(やまもと・ひろき)
1992年生。愛媛県出身。小説家/デザイナー/批評家/編集者/いぬのせなか座主宰…。小説や詩やパフォーマンス作品の制作、書物・印刷物のデザインや企画・編集、芸術全般の批評などを通じて、表現と〈アトリエ〉の関係、あるいは〈私の死後〉に向けた教育の可能性について共同かつ日常的に考えるための方法や必然性を検討・実践している。主な小説に「無断と土」(鈴木一平との共著、『異常論文』ならびに『ベストSF2022』掲載)。主な戯曲に「うららかとルポルタージュ」(「Dr. Holiday Laboratory」により2021年11月上演)。主な批評に「死の投影者による国家と死──〈主観性〉による劇空間ならびに〈信〉の故障をめぐる実験場としてのホラーについて」(『ユリイカ』2022年9月号)、「ただの死がもたらす群生した〈軋み〉──大林宣彦における制作と思考」(『ユリイカ』2020年9月臨時増刊号)。主なデザインに『クイック・ジャパン』(159号から167号までアートディレクター/東京TDC賞2023入選)、長谷敏司『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』(早川書房、2022年)、吉田恭大『光と私語』(いぬのせなか座叢書、2019年/第54回造本装幀コンクール 読者賞 、日本タイポグラフィ年鑑2019入選)、西野嘉章『村上善男──玄々とした精神の深みに』(玄風舎、2018年、著者と共同デザイン/第52回造本装幀コンクール 経済産業大臣賞)、いぬのせなか座「現代詩アンソロジー「認識の積み木」」(『美術手帖』2018年3月号)。主な企画・編集に『早稲田文学』2021年秋号(特集=ホラーのリアリティ)。2015年より主宰するいぬのせなか座は、小説や詩の実作者からなる制作集団・出版版元として、『文藝』『ユリイカ』『現代詩手帖』『美術手帖』『アイデア』など各種媒体への寄稿・インタビュー掲載、パフォーマンスやワークショップの実施、企画・編集・デザイン・流通を一貫して行なう出版事業の運営など多方面で活動している。