「私たちのエコロジー」展をさらに楽しむためのおすすめ本

森美術館の「私たちのエコロジー」展。アーティストやキュレーターの膨大なリサーチから生み出された作品は、わたしたちと自然環境や生態系との関係を新たな視点から浮かび上がらせます。

ただし、こうしたリサーチをもとにした展覧会は、ぱっと見ただけではなかなか理解することが難しいものです。展覧会に行く前や行ったあとで、カタログや関連する本を読んでみると、新たにわかることがたくさん出てきます。

テーマごとに関連する本を選んでみましたので、展覧会をさらに楽しんでください!

目次

展覧会の全体像を見渡す
・「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」

プラネタリーな視点
・「一つの惑星、多数の世界: 気候がもたらす視差をめぐって」ディベシュ・チャクラバルティ
・「自然なきエコロジー 来たるべき環境哲学に向けて」ティモシー・モートン
・「ヒューマンカインドー 人間ならざるものとの連帯」ティモシー・モートン
・「風土 人間学的考察」和辻哲郎 

人新世とアート
・「 新しいエコロジーとアート「まごつき期」としての人新世」 長谷川祐子編
・「ポスト人新世の芸術」 山本浩貴
・「エコゾフィック・アート 自然・精神・社会をつなぐアート論」四方幸子

 

展覧会の全体像を見渡す

やはり、展覧会の全体を見るのに役立つのは展覧会のカタログです。

この展覧会のテーマである「エコロジー」は、環境汚染、公害、地球温暖化といった環境問題から、グレート・アクセラレーション、アクティビズム、自然に対する人間の考え方の変化とその歴史、最新のテクノロジーと、幅広い分野への広がりを見せています。

今回の展覧会では4つの章立てで、この大きなテーマに挑んでいます。簡単に章立てを説明すると、

第1章は「全ては繋がっている」では、地球規模で考えるべき問題をグローバルからプラネタリーな視点へと変化させ、自然環境や人間の営みが複雑に絡み合う状況に目を向けます。

第2章「土に還る」では、ゲストキュレーターとして日本近現代美術を中心とした美術史の専門家であるバート・ウィンザー=タマキ氏を招き、1950〜80年代の日本の高度経済成長期にに日本のアーティストが公害や環境破壊、放射能汚染といった問題にどのように向き合ったのかをみていきます。

第3章「大いなる加速」は、グレート・アクセラレーション(Great Acceleration)の日本語訳です。これは人間活動によって、20世紀後半から社会経済システム、環境システムの12の指標が急速な上昇傾向にあるという指摘です。この近代化、工業化によって引き起こされた人間活動の急速な増大は、環境に甚大な影響を及ぼし、すでに地質学的なレベルに達しているのではないか、という危機感が「人新世(Anthropocene)」という言葉を生み出しました。こうした状況を文化的、歴史的な背景から地球環境と人間の関わりを見つめる作品が紹介されています。

最後に、第4章では「未来は私たちの中にある」と題して、地球環境の未来に目を向けます。進歩主義や資本主義がもたらす矛盾、エコクリティシズムやフェミニズムの視点、デジタル・テクノロジーの可能性など、未来を再考し、アートを通じて未来に対して何ができるかを探っていきます。

こうしたテーマをどのように捉え、わたしたちに何を伝えようとしているのか、展覧会では読み切れない文章も、カタログではじっくり読むことができます。

「私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために」

 



 

プラネタリーな視点

  第1章は「全ては繋がっている」では、地球環境を考える上で人間だけでなく、動物や植物、微生物など、人間や国といった枠組みを超えた、プラネタリーの視点が必要だと語ります。プラネタリーな視点を探るのにおすすめの本を紹介します。

 

「一つの惑星、多数の世界: 気候がもたらす視差をめぐって」ディベシュ・チャクラバルティ

ディベシュ・チャクラバルティは、インド出身の歴史学者です。ポストコロニアル理論やサバルタン研究からスタートし、現在は環境問題、人新世の議論における世界的な論者です。展覧会カタログでも取り上げられている「The Climate of History in a Planetary Age(2021) 」が有名ですが、邦訳最新刊のこちらもグローバルからプラネタリーへという流れを理解する助けになります。(※読みやすくはありません!)

 

「自然なきエコロジー 来たるべき環境哲学に向けて」ティモシー・モートン

哲学者であり、生態学者でもあるティモシー・モートンは、脱人間中心主義ともいえるオブジェクト指向存在論(OOO:Object Oriented Onthology)の立場をとり、環境問題に取り組んでいます。モートンは、あらゆる空間に入り込む物質(特に発泡スチロールやマイクロプラスチックの例が有名)を"Hyperobject"と位置づけ、人間の認知能力を超えてしまっていると考えます。この考え方は哲学者であるスラヴォイ・ジジェクの評価を得て広まっていきます。ちなみに"Hyperobject"の概念はビョークの初期の名作"Hyperballad"(ミシェル・ゴンドリーのMVも秀逸。)から着想を得ており、ビョーク本人とも親交があるそうです。

アートの世界ではハンス・ウルリッヒ・オブリストがこの考え方を紹介し、オラファー・エリアソンの「Reality Machine」の制作に影響を与えたと言われます。また日本では金沢21世紀美術館の長谷川祐子氏がこの問題に取り組んでいることでも知られています。

「自然なきエコロジー」ではこれまでの手つかずの自然への手放しの称賛とそれに伴うファシズム的な自然観を分析し、「とりまくもの」としての「自然」を提唱します。

 

 

「ヒューマンカインド- 人間ならざるものとの連帯」ティモシー・モートン

最新の邦訳著作「ヒューマンカインド」では、「人間」と「人間ならざるもの」との関係についてその境界を問います。

 

「風土 人間学的考察」和辻哲郎 

今から100年近く前、1929年から連載が開始された和辻哲郎の風土論は、1935年の刊行以来、長きにわたり読みつがれています。文庫本も1979年の初版から70刷に迫るロングセラーです。

自然環境を科学的な対象として捉えるのではなく、自然環境とそれによって形づくられる人間の営み、つまり文化や歴史と分かちがたく絡み合う「風土」として捉えます。人間の自己了解の仕方としてハイデガーの「存在と時間」に影響を受け、そこに空間性が欠落していることを問題意識として、書き上げられました。

グローバル化によって環境や地域の独自性が徐々に失われたかに見える現代においてもなお、風土による地域の特殊性は存在し、その特性を活かすことによって、それぞれの地域の文化的価値を見出すことができるのではないか、とする芸術論は、現在の状況を指し示すかのようにもみえます。

 

人新世とアート

 「人新世」(Anthropocene、アントロポセン)は環境問題を考えるうえで、とてもよく耳にするキーワードとなりました。そもそもは、人間による環境破壊が地球環境に大きな影響を与えており、氷河期や火山の大噴火のような地質学的なレベルの環境変化を生み出しているのではないか、という仮説のもとに提唱された新たな地質学区分のことです。現在は科学的には非公式な区分ですが、新たな地質年代とするかは議論が重ねられています。

人文学の分野では、この「人新世」というキーワードのもとで、多くの議論が重ねられています。アートにおいても、前述のオブリストによるティモシー・モートンの紹介にあったように、多くのアーティストやキュレーターがこの問題に取り組んでいますので、人新世とアートをテーマにした本をご紹介します。

 

「新しいエコロジーとアート「まごつき期」としての人新世」 長谷川祐子編

東京藝術大学で開催された展覧会「新しいエコロジーとアート」にあわせて刊行された本です。「人新世」における環境変化にアーティストや研究者たちは、どのように応答するのでしょうか?

現代を「まごつき期 dithering time」ととらえ、ブリュノ・ラトゥール、エマヌエーレ・コッチャ、石倉敏明、篠原雅武といった領域横断的な書き手によるアンソロジーとなっています。

 

 

「ポスト人新世の芸術」 山本浩貴

人新世以降の芸術はどうあるべきなのか、AKI INOMATA、本田健、天土耕作、集団蜘蛛などアーティストやプロジェクトの解説とともに、人間と自然の関係を軸とした美術史を構築することを目論みます。

現代美術史-欧米、日本、トランスナショナル」では、欧米中心のアートワールドから脱中心化していく現代美術史を紐解いてきた著者が、脱人間中心化していく人間と自然の美術史を考えます。

 

 

「エコゾフィック・アート 自然・精神・社会をつなぐアート論」四方幸子

 フェリックス・ガタリの「エコゾフィー(エコロジー+フィロソフィー)」の概念とヨーゼフ・ボイスの提唱する「社会彫刻」からインスピレーションを受け、著者は世界を、自然環境や人間、言語やデータに至るまでをすべてを「情報のフロー(流れ)」として捉えます。常に変容し続けるこの世界をアーティストの作品とともに紐解いていきます。

 

 

後編では、「土に還る」や「環境問題」をテーマにおすすめ本を紹介します。