草間彌生

 草間彌生。もはや説明の必要もないかもしれません。最も有名な日本人現代アーティストの一人で、あまり美術館の展覧会に足を運ばない方でも、テレビや雑誌で、赤いおかっぱ頭に水玉の服を着たご本人の姿や、瀬戸内海のアートの島、直島の海辺に設置された大きなかぼちゃの作品をご覧になったことがある方は多いと思います。何がすごいのか?なぜこれほどに有名なのか、少しその経歴を見ていきたいと思います。

 草間彌生は1929年長野県に生まれ、1957年、28歳のときに単身渡米します。シアトルで初の個展を開催すると、その後ニューヨークに拠点を移し、アートスクールに通いながら作品制作を続けます。1962年にはアンディ・ウォーホル、クレス・オールデンバーグらとグループ展に参加し、1963年にガートルード・スタイン・ギャラリーにて「集合:1000艘のボートショー(Aggregation: One thousand Boats Show)」を発表します。壁一面に同じボートのイメージを反復する手法は、アンディ・ウォーホルにも多大な影響を与えたと言われています。この頃同じロフトに住んでいたのが、ミニマル・アートのドナルド・ジャッドら先進的な活動をしていたアーティストたちでした。ジャッドはその後草間の代表的なシリーズとなるInfinity netsの作品を購入するなど、長い友人関係が続くこととなります。1965年頃からは裸の男女に水玉模様を施すといったゲリラ的な行動で注目を浴びます。ハプニングと呼ばれるこの活動はニューヨークでも大きな注目を集め、草間彌生の名を有名にしました。1966年にはヴェネツィア・ビエンナーレに参加し、1500個のミラーボールを水に浮かべた作品「ナルシスの庭」を発表します。現在ニューヨークのBotanical Gardenで開催中の展覧会「KUSAMA:COSMIC NATURE」でもこの作品が見られるようです。今やビッグネームとなったアーティストと肩を並べ、影響を与え合いながら、アーティストとしての活動を続けたことで、その地位は確固たるものとなっていきます。70年代半ばに日本に帰国した後、決して理解を得られたとは言い難い状況ではありましたが、小説、コラージュ作品とその制作意欲は衰えることを知らず、理解者を得て活動を継続します。1993年にベネツィア・ビエンナーレの日本館代表として初の個展を開催すると、企業とのコラボレーションやテレビへの出演、海外での大型個展の巡回と、その後の活躍は皆さんもよく知られるところかと思います。

 1950年代当時、海外へ活動の場を求めること自体が珍しかった時代に、単身アメリカでアーティスト活動を続けるだけでも、大変な苦労があったことは想像に難くありません。そのなかで独自の表現を生み出し、発信し、多くの批評にさらされながら、それを突き詰め、いつの時代も高いクオリティの作品を発表し続けたことが、今なお世界中で強い存在感を放つ理由となっているのではないでしょうか。

 草間さんの関連書籍も数が非常に多く、絶版になってしまった書籍も少なくありません。LUCKY RECORDSでは今後絶版になってしまった書籍や、グッズなども取り扱いを進めていこうと考えています。他にも取り扱い希望の商品などありましたら、ぜひご意見いただけますと嬉しいです。

>>草間彌生特集

 

現在はニューヨークのBotanical Gardenで「KUSAMA:COSMIC NATURE」という植物園を会場にした展示が行われています。

https://www.nybg.org/event/kusama/